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君に、退屈を、
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 このエントリは、宗教について簡単に語られたくない、とか、宗教について知識の無い人間が、偉そうに語るな、と不快に思われる方は読み飛ばして欲しい(その代わり、と言ってはなんだが、Neil YoungのWhen God Made Me歌詞 をリンクしておく)

 しかし、暴論も混ざっているが、至って本気に書く

 

 


 「神も仏も無い」という言葉がある

 

 人間が不条理な外的要因によって不幸な状況に陥った場合に使われると思われるこの言葉

 「自分は、無神論者なので、神も仏も元々いないよ」とか、「それは、単に言葉のあやだから、字義通りの意味なんて無いよ(英語で言う 'Jesus' とか 'Oh,my God' と変わらないよ)」とか言われたらそれはそれで終わりなのだが、敢えて、字義通りに言葉を読んで、その意味を考えてみた


 最初に書いておくと、自分は(少なくとも今のところは)無神論者で、あえて言うなら闇鍋教信者(ごった煮)で、一番共感できるのは、有形無形で影響を受けている仏教かな、というところ

 宗教に関しては、恐らく表面的な理解、ステレオタイプな見方しかできていない


 で、書いたとおり、無神論者だと話が展開できないので、神(仏でもいいが)がいる、と仮定してみよう

 そして、(仮定に仮定を重ねると、真実からは遠ざかってしまうのは自明の理ではあるのだけれど、ここでもうひとつ仮定を重ねて)「神も仏も無い」と形容するに相応しい出来事が起こった、とする


 第一に起こる疑問は、「神は人間に対して、都合のいい存在、と思われているのではないか」ということ

 例えば、子供がアリの巣を潰す、我々が蚊を殺す、といった時に、「神も・・・」とは言わない

 人間に不幸が起こったときのみ「不条理」だ、と感じる

 神は、人間だけを作ったのだろうか?

 個人的に、宗教は、絶対的真理を説くというよりは、人類知の積み重ね、だと思うので(イスラム教における、一夫多妻制は、戦争により生まれた寡婦の救済制度である、とか)、都合のいいように神の概念を規定したとしても、不思議ではない


 第二に起こる疑問は、「人間は、神を理解できるのか」ということ

 不可知論

 キリスト教では、神は自分の姿に似せて作ったとなっているが、思考まで似せたのだろうか?

 人知を超えた存在が神ではないのか?

 また、不幸な状況は、個人的な感情であることが多いので、個人個人のことを考えて、神は行動するのか(この時点で、自分の中で神のイメージを勝手に作っているような気がしているが)


 第三に起こる疑問は、「異教徒が傷つけられた時、神はしたり顔をするのか」ということ

 神がいる、と信じている人間が、他の神を信じている人間に対して「神も仏も無い」行為をしているのは、実に大きな矛盾


 で、結局、何が言いたいのかわからなくなってきたが、やはり、今現在、宗教を「学ぶ」ことに興味はあっても、悲しい戦いの言い訳にしかならないような宗教は信じられない、ということだろうか(勉強不足なだけかもしれないが)

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 2,3日前に、テーマを作って、丁寧に仕分けしてみて、もうちょっとざっくり分ければよかった、と後悔してるが、そのことはまあいい

 その作業をしている時に、あるテーマを並べてみたら、予言するようなエントリ があったのだが、いかに自分は、愚かしい一人相撲に完璧に勝利するか(若しくは完璧に敗北するか)ということにひたすら邁進してきたのか、ということを理解してしまった

 個人的にツイてる、と思う日って

  新曲発売決定、とか

  仕事中怒られなかった、とか

  好きなブログの更新があった、とか

  女の子と異様に喋ることが出来た、とか

  ストレスなく自転車をこぐことが出来た、とか

  かわいい子と大量にすれ違うことができた、とか

  YahooのGoogleニュースで面白いのがあった、とか

  階段状に書いたけどブログで表示される時には、ぐちゃぐちゃになってるだろうな、とか

 要は、他人にとっては些細なことを、増幅に増幅を重ねて自分を喜劇のヒーローに仕立て上げていることが多いと思う


 で、そういう些細なことは、普段は友人にも言うことが憚られて、心の奥底にしまってあるが、ブログはそこに付け入って、いや、ブログという編集人にそそのかされて、いや、ブログという存在が調子に乗って、いやはやどうでもいい


 とにかく、いつも、自分以外にとって、どうでもいいエントリに目を通してくれてありがたい

 もう気づいている人も多いとは思うが(すいません、べたで)背景を変えてみた


 あと、これは、気づけるものなのかわからないのだけど、上の丸いボタンをいじると、一瞬面白いと思うものの、すぐに飽きてしまうので、注意が必要

 数日前に、あるテレビ番組に、経済アナリスト(どこの誰かは気にも留めなかった)が出演していて、ナンバーポータビリティーで、解約数がどのように変化し、どのキャリアにどんな影響を与えるか、を語っていて

 で、解約数の話で、予想がつかない、と言い切っていてびっくりした(一応の数字は出していたが)

 

 うーん・・・何しに出て来たの?


 恐らく、GDPなどのいくらかの材料がある予想よりは難しいだろうことは、素人目でもわかる

 そういう番組を見て、投資について判断を決める人はきっといないのだろうが、それでも、居酒屋で話してる訳じゃないのだから、その話をしない、という選択肢があってもよかったのではないか

 昨日、初めてケータイで記事を投稿して

  1.普段、ケータイでメールを打たないので、指が痛くなった

  2.外だと、調べたいことがあってもできないので、書きたいことを全て書ききれているか、不安

  3.改行は出来ても、段落変えたときに、全角空けるやり方がわからない(帰宅して、修正を入れた)

  4.1.と被ってるが、打ちなれていないので、書き終えるまで、やたらと時間がかかる


 玉になれるかどうかはわからないが、艱難

 年月を重ねれば、自然と大きくなるものだ、と思っていた
 しかし、現実は、そこからこぼれ落ちんばかりの水を恨めしそうに眺めやるだけ
 大小は、あらかた生まれた時から決まっている

 「書きたいことの半分しか書けなかった」と思うことがよくある

 昨日のR30についてのエントリも、今日になってから、あー書けばよかったのにと思うことがたくさん見つかった


 しかし、一般的に書けなかったことの半分の正体って

  1.書きたいことを思い出せなかったーそんなこと言い出したら、一生ブログを書けないか、一生過去ログを修正していくしかない(手塚治虫やYMOリイシュー関連の坂本龍一のような完璧主義者にその仕事は譲ってあげよう)

  

  2.勉強不足ー人生は日々勉強  「全部わかっている人間」なんか存在しない


  3.寝る前に仕上げたくて、批判すべきエントリを読み直さなかったー横着


  4.本音を書けなかったーそれは書かないべき


  5.気の利いた表現を書けなかったー気の利いた人間ではないから


 少し、個人的な欠点が見え隠れしたが、書けなかった事の半分は、後悔という生き物がつくりだした、想像の産物なので、気に病むことはない

 Ben Foldsは、「Brick」(上のいっぱい並んでいる人型のアイコンの「videos」 をクリック)聴きたさに、「Whatever And Ever Amen」(この頃はBen Folds Five)を買って以来、全然チェックしていなかった

 しかし、数ヶ月前に、ネットラジオで「LANDED」(ここのfootageのところ)が流れて、クレジットをチェックしたところ、Ben Foldsだったので、聴いとけばよかったとおもった次第

 その間、他に聞きたい音楽があったので購入しなかったのだが、今日ようやく買うことが出来た


 まだ、通しては聞いていないのだが、「Whatever And Ever Amen」を聞いていたら、最初はこんな風にピアノ弾けたら楽しいんだろうな、と思っていたが、聞いているうちに急激に飽きた(恐らく、構成がシンプルなため)ので、今回は飽きませんように


 あまつさえ

 R30を知ったのは、パソコンに関する知識が乏しいので、色々勉強していて、IntelとAMDの違いって何?と調べていたら,MS+AMD vs Intel+Apple という構図というエントリを見つけたのが発端(読み進めていくうちに、「真性引き篭もり」経由で見たことあるかも、とか思ったり、思わなかったり)

 最初に言っておくと、自分は経済関係に詳しくはないが興味はあり、テレ東系とお友達な人間なので、非常に面白く読めた

 R30氏は、元記者(プロフィールはここの下あたり)という経歴もあって、分析力、構成力はもちろん素晴らしい

 ただ、専門外のことにも首を突っ込んでいくので、プロの人たちからは付け焼刃と取られても仕方がないのだろうか、コメント欄に辛辣なコメントが並ぶこともしばしば

 自分としては、別にそんな間違いはコメント欄で読むまで気づかないことが多かったし、それだけ筆の進め方が上手い、ということなのだろう

 ブログなんだから、別にブロガーが専門外のことを書いて間違っても、討論の場となって何か新しい価値観を生み出せれば面白いし、間違いだったら直せばいい話



 しかし、ひとつだけ看過できない記述があった

 書評:「中村邦夫 『幸之助神話』を壊した男」というエントリを結ぶ言葉が

21世紀とは、もはや素人がジャーナリストたり得ない時代なのかもしれない

 だ、ということだ

 それまで、ネットジャーナリズム 対 既存のマスメディアという二項対立で自説を展開しておきながら(まとめはこのエントリ)、この言葉をどうやって書けたのだろう

 大変な誤解をしているのだろうか?

 しかし、無知な自分にとって、この結びの言葉は、ネットジャーナリズムなんか存在しないですよ、としか読めない

 過去ログの文中にリンクされているブログは、記者や教授、その他専門知識を持った人の書いたブログが多かったので、素人=専門知識を持っていない人、と言う風にとれば、納得できなくもないかもしれないが、そんなことを言ったら、R30氏の書いている専門外のエントリは全て「チラシの裏」ととってもいいのですか?と

 過去ログを読んでいて、他の部分はネタとして読んでもよかったのだが、どうしてもこの記述だけは気になる


 始めに書いたとおり、R30は(自分が言うまでもなく)面白かったので、忙しさの合間を縫いながら、専門外のことでも書いて欲しい(最近、更新の頻度が極端に落ちているので)

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