今日、ふと、マーフィーの法則を思い出して、それを大勢との会話の中で持ち出したら、殆どの人が知らない、と言う
知ってる人でも、何か見当違いのことを言い出す
自分の記憶の中では、一連の「マーフィー本」は、ベストセラーだったように思うし、嘉門達夫がそれをテーマにして、歌を出し、ぼちぼち売れたはず
これだけ記憶がしっかりしてるのに、知っている人がいない、というだけで、それが妄想のように思えてくる不思議さ
自分の好きなミュージシャン(邦楽、アメリカ以外の知名度の低いミュージシャン、アメリカでも大分無名だと×)を入力すると、勝手におすすめをネットラジオっぽく流してくれる
iTunesのライブラリを片っぱしから入れてったら、例えばoasisだったらOKで、Flicerstickっていうアメリカのインディー系は×、日本人でもzongaminはOKというような感じ、いまいち基準がわからない
登録をしないと、途中から聞けなくなったので、登録を試みるも、米国民以外立ち入るべからず、みたいなふざけたことを仰ってくれたので(しかし、郵便番号を聞かれただけ)、郵便番号をでっち上げて登録(Google様様)
日本ってさぁ、著作権云々でさぁ、こういうサービスが遅れて・・・みたいなことはまた別のエントリを気が向いたら書こうかな、という感じではあるのだが、MTV.comも米国内じゃないと見られないみたいなので、疎外感
委員長:静粛に これから決起集会をとりおこなう
聴衆 :(拍手)
委員長:では、今日集まってもらった目的を話そうと思う
我々は、腐敗したk・・
聴衆A :はい、委員長
委員長:なんだね
聴衆A :フハイって何ですか?
委員長:腐った、という意味だよ
続けよう
腐敗した教育に、貴重な時間を搾取さr・・・
聴衆B:はい、委員長
サクシュってなんですか?
委員長:・・・まぁ、嘘を言って奪う、といったところかな?
続けよう
貴重な時間を・・・奪われている
革命を起こして、我々の、かけがえのない時間を奪い返そう!!!!
聴衆 :(拍手)
聴衆C:とりあえず、塾の時間になったので、帰らせてもらっていいですか?
委員長:・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブログにとって、誠実さってなんだろう
・きっちりと、コメント返しをすること?
コメント欄は、そのエントリに対してコメントする欄だから、ブロガーが自分のエントリに対してコメントを書くのはおかしい、という考えもある(自分は、細かいことは気にしないので、素直にコメント返しするが)
・主義・主張が一貫していること?
人間、いくらでも考えが変わることがある(根幹となる考えが変わり、それが今まで書いてきたエントリと大いに関係があるなら、変わりました、と宣言するべきだとは思うが)
個人的な結論は、「自分の書きたいことを、書きたいように書き続ける」という、言ってしまえば至極当然のこと
ブログは、直接の知り合いや、コメントをしてもらって御礼を言いに相手のブログを知る場合などでなければ、何らかの形でエントリを読み、気に入って、読み続けようと思って読者になるものだと思う
読者からすれば、勿論、好きなブログでもエントリによって好き嫌いはあるだろう
しかし、好きになったエントリは、ブロガーが好き勝手に書いたもののはずだ
よって、ブロガーは、程よい頻度で好き放題にエントリを乱発すれば、誠実であり、無問題、ナイナイ岡村おめでとう
このエントリは、宗教について簡単に語られたくない、とか、宗教について知識の無い人間が、偉そうに語るな、と不快に思われる方は読み飛ばして欲しい(その代わり、と言ってはなんだが、Neil YoungのWhen God Made Me の歌詞 をリンクしておく)
しかし、暴論も混ざっているが、至って本気に書く
「神も仏も無い」という言葉がある
人間が不条理な外的要因によって不幸な状況に陥った場合に使われると思われるこの言葉
「自分は、無神論者なので、神も仏も元々いないよ」とか、「それは、単に言葉のあやだから、字義通りの意味なんて無いよ(英語で言う 'Jesus' とか 'Oh,my God' と変わらないよ)」とか言われたらそれはそれで終わりなのだが、敢えて、字義通りに言葉を読んで、その意味を考えてみた
最初に書いておくと、自分は(少なくとも今のところは)無神論者で、あえて言うなら闇鍋教信者(ごった煮)で、一番共感できるのは、有形無形で影響を受けている仏教かな、というところ
宗教に関しては、恐らく表面的な理解、ステレオタイプな見方しかできていない
で、書いたとおり、無神論者だと話が展開できないので、神(仏でもいいが)がいる、と仮定してみよう
そして、(仮定に仮定を重ねると、真実からは遠ざかってしまうのは自明の理ではあるのだけれど、ここでもうひとつ仮定を重ねて)「神も仏も無い」と形容するに相応しい出来事が起こった、とする
第一に起こる疑問は、「神は人間に対して、都合のいい存在、と思われているのではないか」ということ
例えば、子供がアリの巣を潰す、我々が蚊を殺す、といった時に、「神も・・・」とは言わない
人間に不幸が起こったときのみ「不条理」だ、と感じる
神は、人間だけを作ったのだろうか?
個人的に、宗教は、絶対的真理を説くというよりは、人類知の積み重ね、だと思うので(イスラム教における、一夫多妻制は、戦争により生まれた寡婦の救済制度である、とか)、都合のいいように神の概念を規定したとしても、不思議ではない
第二に起こる疑問は、「人間は、神を理解できるのか」ということ
不可知論
キリスト教では、神は自分の姿に似せて作ったとなっているが、思考まで似せたのだろうか?
人知を超えた存在が神ではないのか?
また、不幸な状況は、個人的な感情であることが多いので、個人個人のことを考えて、神は行動するのか(この時点で、自分の中で神のイメージを勝手に作っているような気がしているが)
第三に起こる疑問は、「異教徒が傷つけられた時、神はしたり顔をするのか」ということ
神がいる、と信じている人間が、他の神を信じている人間に対して「神も仏も無い」行為をしているのは、実に大きな矛盾
で、結局、何が言いたいのかわからなくなってきたが、やはり、今現在、宗教を「学ぶ」ことに興味はあっても、悲しい戦いの言い訳にしかならないような宗教は信じられない、ということだろうか(勉強不足なだけかもしれないが)
2,3日前に、テーマを作って、丁寧に仕分けしてみて、もうちょっとざっくり分ければよかった、と後悔してるが、そのことはまあいい
その作業をしている時に、あるテーマを並べてみたら、予言するようなエントリ があったのだが、いかに自分は、愚かしい一人相撲に完璧に勝利するか(若しくは完璧に敗北するか)ということにひたすら邁進してきたのか、ということを理解してしまった
05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |