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君に、退屈を、
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 もし、そうじゃなかったなら、潜在的な不幸に塗れていただろう


 もし、そうじゃなかったなら、身に余る自由の重さに気づくこともなかっただろう

  

 も思想じゃなかった奈良、「もし、そうじゃなかったなら」なんて考えることもできなかっただろう

 

 そうでよかった

 そうじゃないこと、でなくてよかった


 他人には不幸に見えても、幸せ

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 幼い頃より、自らの平凡な感性をそれと認めたくなくて

 しかし、そんなことをしなくても、いつもはみだしていた

 入り口は同じなのに出口が違う

 

 孤高ではない、孤独なのだ

 言葉は意識を規定するが、限定はしない

 言霊は我を誘うが、それに抗うことはできる

 言外に否定はできても、すくい取る思い

 本音と建前はあって然るべき

 しかし自分に対する建前、とは何のために存在するのだろうか

 

 許されないのは、仲の悪いため

 不完全な空を煮詰める憔悴した手

 人生は、それ自体は寓意を持たない寓話である

 寓意を付与するのは我々である

 最近運勢(運命)みたいなものについてよく考える

 

 以前は、運命論から連想されるニヒリスティックな感じ(このブログを読んで、ニヒリスティックな感じを受ける人もいるかもしれないが)が嫌なのと、神秘主義的な思考が受けつけなくて全然信じていなかった

 しかし、一時期、余りにも当たらない占いを見続ける機会があって(逆のベクトルでぴたりと当たっていた)それから考えるようになった

 

 肯定するには知識が乏しく、否定するには信念が足りない


 考えがまとまりきらないが、何をしても上手くいかない日とかがあるし

 聞きかじりだが、量子力学とかカオス理論とかは、今は神秘的であるとされていることを将来は科学で説明できるようになるのではないか、と思わせる

 

 占いなどはあまり熱心に見る方ではないし、運勢(運命)について最終的な判断を下しているわけではないが、運勢の波(バイオリズム)みたいなものはあるのではないか、と漠然と思っている

 妄想は、きっとパラレル・ワールドのように現実のそばに付き添っているのだ、と思い込む

 一日の大半を妄想で過ごす人間にとって、現実と妄想なんて、長時間飲酒したか何かの勢いで意味を無くしてしまう事実への信頼のように、軽々と飛び越せるものだ

 

 駆け引きなんか知らない

 線を幾重にも重ね、よくできた、感動したっ、自分をほめてやりたい、褒美を取らせてつかわす、といった塩梅のあみだくじを、結局下から始めてしまい苦笑い

 

 人と違って、選択肢がないので二択にしているのに

 「逆援専門の・・・」というトラックバックをよく頂くので、それに対抗すべく何か気の利いたエントリを書こうと思ったが、相手が図に乗るのもよくないので無視を決め込むことにした、という妄想、兼ひとりぼっち相撲

 正直、こんな思いをする度に思うこと

 

 所有欲なんだろうな、行き着くところは

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